2014年04月12日

オボちやんのこと

理研のゆるキャラのごとく登場したオボちゃん。
うちでオボちゃんとか言ってたら、オボちゃんと呼ぶ人がどうも少なくはないようで、なんでだろうと自分でも自分のことを考えてみた。
STAP細胞というノーベル賞級の発見とテレビに登場した博士の姿の落差。
そしてその後の騒動の中で、実際の小保方博士から博士という重みが飛び去り、
21歳のらせんの大学生みほや20代半ばの見習いしらすより、
はるかに幼い感じが印象に残って、それでオボちゃんとでもよぶのがぴったりと思っちゃったんじゃと思う。
割烹着ってわしらも給食当番の時に着用した、昭和な時代の働いているぞ感いっぱいのコスチュームも意表をついたしだし、
おかあさんは心理学者らしいから、この子をどのように分析するのか興味があるのじゃ。
せがれAやみるめ管理人さんなどの世代だし、
まあとにかく、舞台にとうじょうさせたい、キャラではあるわなあ。face06
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Posted by みるめ下足番 at 17:36Comments(0)どーでもいいこと

2013年11月25日

8ヶ月ぶり

ブログは久しぶりなのじゃ。なので入り方を忘れてしまったのじゃ。前回は3月に書いておって、それから8ヶ月の間に2回も入院、一週間ちょっとで退院、ってのをやったのじゃ。最初入った時のリハビリの先生にばったりエレベータのところであって、ななんでですか?とびっくりされたのじゃ。その先生、苗字だけ聞くと怖そうだけど、ぜんぜん優しいかわいい女の先生で、うちの息子Bなんかのお嫁さんになってくんないかしら、と思う人だったのじゃ。しかし、最初入院した時の病気からはすっかり回復してて、報告とその時のお礼が言えてよかった。最初に入院した時の担当医が、三谷幸喜に似ているのだけど、こちらも顔を出してくださった。2回め入院の一週間に一回目の病気の半年後の定期健診でお目にかかったのだけど、ちょっと苦笑い君で明るかったので、こっちも大したことなさそうと思えて安心したものじゃった。とにかく今回の病気は食いたいものが食えんというのが一番つらかった。じゃ。  


Posted by みるめ下足番 at 18:13Comments(0)がちなこと

2013年03月10日

アトサキ7に行ってきたじゃ。
10年来の知り合いの写真家、杉山くんの写真展じゃったのじゃった。
行ったら、杉山くんとはタッチの差で会えずだったのじゃが、
ガラスドア越しにいっしゅんどこかで見たことある人
という戸惑いがあって、
やちぴーがいたのじゃった。
戸惑ったのもそのはず、
お休みの外出とあっておしゃれしてて、なかなかに良い感じのお姉さんに変身しておったのじゃ。
早く嫁に行かないから、らせんとしては貴重な女優として活躍中なのじゃが、
なかなかに良い感じのお姉さんなのに、なぜだろうと、考えたのじゃが、
これきらせんが根性曲がりにしてしまったのでないかとも思ったりしてたのじゃが、
それはどうだろう。やや胴長じゃけど、背も高いし、ウェディングドレスなどに会うに違いないのじゃが、
中々に芯のある女子だと思うのじゃが、世の中、すんなりうまくはイカンもんじゃと、
昨夜毎年恒例の高校3年の時の同級会をやってきたばかりの下足番は、
同級生たちと語り飲みながらも思ったことを、また思ったという訳じゃ。
ぴいよ、人生はまだ長いぞ。今日の下足番は仙人みたいじゃ。
  


Posted by みるめ下足番 at 17:29Comments(0)おもしろいこと

2013年02月25日

演劇カタログの若手劇団 2

 静大演劇部のことは触れたので、本番終わったばかりで社会復帰できてないので、今回は、昨年、静大演劇部を卒業(静岡大学を、ではない)したばかりの六畳一間について、思ったことをちょいと。
 カップラーメンのことであるじゃ。いや、演目の話、カップラーメンとそれにとりつかれた男の話。どうでもいい話を、朗々と?といや堂々?と生真面目?一生懸命に?演じる舞台じゃった。
 まず脚本、たかがカップラーメンについて、40分近くも演じる脚本を書いた岡和寛は、馬鹿である。素晴らしいがつく馬鹿である。こういう馬鹿なことに執着して書くというのが素晴らしい。いつしか、たかがカップラーメンの話だと忘れてしまうほど、真剣・まじめに、熱中している舞台も馬鹿馬鹿しい話だけに素晴らしい。だが、よく考えると、でもって求められてもイない深読みをすると、しっかりと対象にこだわって真剣に取り組んでいる多くの人が身の回りにいる。恋と呼ばれるものでも、カップラーメンでも、対象が違うだけで、恋のほうが重大と思うのは本人次第であって、うーんと傍目から見れば、対象に軽重はない。本人の勝手である。
 ただ、演劇を観る側は、いわゆる常識ってやつにとらわれて生きている者。演劇に携わる者は、しばしば、いわゆる世間とは違うということを、プライドみたいにして生きている者が多いが、それとてそうした世間の常識とは無縁には生きてはおらない。
 ポイントはここであると下足番は思うのじゃ。
 この舞台は、もろもろ面白いと思ったのじゃが、この舞台に、たかがカップラーメンの話ですよという、作者、演出の視点があるといいと思ったのじゃ。第三者的視点からの枠とでも言えばいいだろうか。軽味とでもいいだろうか。下足番が知る限り岡和寛が、カッブラーメン命という人には思えない。密かにそうなのかもしれないが。それがあるともっと観客に広がる・伝わる、舞台になったと思ったのじゃったことじゃ。
  


Posted by みるめ下足番 at 09:27Comments(0)おもしろいこと

2013年02月23日

演劇カタログ2013若い集団の舞台

 下足番は村の渡しの船頭さんよりももう年上になってしまった。じゃので、明日の本番に備えて、今日は若い連中の生き血を吸ってみようと、マリナートへ若い集団の舞台を観に行き、なんと4つも観てしまった。
前回カタログでも、静岡大学演劇部には刺激を受けた。まるで形になっていない、しかし、エネルギーが溢れかえっている、どこかの温泉のなんとか地獄みたいに地の底からわけのわからんものがリア充、リア充と湧き出している得体のしれない舞台だったが、それはそれでなかなか楽しいものであった。
で、それからしばらく経った静大演劇部はいかがなものか、と観たのだったのじゃ。
 静岡大学演劇部(昔は静岡大学演劇研究会といった)の舞台、もちろんすべてを見てはいない、時折だけど、観た中で超スーパー最高の舞台であった。
 原作のトリツカレオトコは幸か不幸か読んだことがない。しかし、すんなりその話が伝わってきた。原作のここがミソが、下足番にも伝わってきたのじゃ。分かった、理解できたではない、伝わってきたのである。
 まずはこの脚本を書いた大畑法子はエライ。原作もここまでスッキリしているのかわからないが、余分もなく、本筋からはみ出さず、脚本に、それも筋を追ってみましたというレベルではなく、演劇脚本としてまとめあげた腕前は、なかなかなものだ。見習いたい。爪の垢をいただきたい。
 二番目は演出も、やるべきことをしっかりやり、視覚的に舞台として美しいシーンも作り、とてもバランスがよかった。この客観性=やってることを冷静に見つめる目もすごい。
 そして、最後に何よりもその演出からはみ出ることなく演じた俳優たちとスタッフたち。そのアンサンブルの良さは拍手もんである。劇団という集団による創作ができていた。連携がとれていたというのかなぁ、うーん。あの年代のワシを思い出すと、恥ずかしい限りじゃ。ノリだけじゃったもんなぁ…。
 他の若い集団の舞台も、それぞれやりたいことをやりきっているという感じを得たのだけれど、静大演劇部はよかった。
 舞台がイタリアらしく、冒頭、朗々と歌ったりするのだが、それとアイスホッケーのシーンが、立派に下手くそだったので、ある意味、二十歳前後の集団としてバランスがとれていたのだけど、でなかったら、ショックで、明日の舞台どころではなかった。 
 今回のメンバーの中から、明日の日本の演劇を創る人材が出てくることを期待する、演劇部の前身の演劇研究会に2ヶ月もいられなかった下足番であったじゃった。いい舞台をありがとう。
  


Posted by みるめ下足番 at 22:52Comments(0)うれしいこと

2012年10月02日

久しぶりじゃ 園子温2

<続き>

あるいはその歯茎の赤さを伝える。あるいは、その哀しみを伝えろ。数値に出せないと政治家に言わせるな、数値で出せ、と訴えろ。全てを数えろと言え、数値で出せと言え。
 「膨大な数」という大雑把な死とか涙、苦しみを数値に表せないとしたら、何のための「文学」だろう。季節の中に埋もれてゆくものは数えあげることが出来ないと、政治が泣き言を言うのなら、芸術がやれ。一つでも正確な「一つ」を数えてみろ。
  


Posted by みるめ下足番 at 08:30Comments(0)

2012年10月02日

ひさしぶりじゃ1 園子温

台本とにかく終わりまでこぎつけられなくて劇団員はもちろん、自分自身も七転八倒な日々であったじゃ。で、台本渡して明けて今朝、この詩のことをしった。

「数」  園子温

 まずは何かを正確に数えなくてはなら(な)かった。草が何本あったかでもいい。全部、数えろ。

 花が、例えば花が、桜の花びらが何枚あったか。それが徒労に終わるわけない。まずは一センチメートルとか距離を決める。一つの距離の中の何かを数えなくてはならない。例えば一つの小学校とか、その中の一つの運動場とか、そこに咲いている桜が何本とか、その桜に何枚の花びらがあったとか、距離と数を確かめて、匂いに近づける。その距離の中の正確な数を調べれば匂いと同調する。たぶん俺達の嗅覚は、数を知っている。匂いには必ず数がある。

 その町の人口が何人だとか、その小学校に何人いたか、とか、例えばその日のその時間に何匹の虫が、何匹の蝶が、何匹の蟻が、何匹の芋虫が、いたか、をきっかり、調べるべきだ。俺の嗅ぐ匂いは詩だ。政府は詩を数字にきちんとしろ。

 涙が何滴落ちたか、その数を調べろ。今度またきっとここに来るよという小学校の張り紙の、その今度とは、今から何日目かを数えねばならない。その日はいつか、正確に数えろ。もしくは誰かが伝えていけ。数えろ、少なくとも伝承の中で昔の物語のようにいい加減に伝えるには、一度でもいい、一回でもいい、一日でもいい、あるいは一秒かそこいらでもいい、その空間と、その位置で、その緯度で、その思いつきでもいい、その一瞬の中で、何かを数えてみるべきだ。伝えるべきだ。教えるべきだ。あるいは自分を数える。あるいは飢えた自分の歯並びを数える――自分を数えろ。お前がまず一人だと。 (続く)

 
  


Posted by みるめ下足番 at 08:28Comments(0)

2012年06月09日

演劇協会の30周年記念誌

「静岡県演劇協会30年誌」その1 明日発行。
言い出したのは3年くらい前、東部地区の重鎮、土屋さんが引っ張ってくださって、何とかカタチになった。とは言え、原稿が出せなかった劇団・会員、拾い切れない、思い出し切れないことも多く、それでその1が付いている。うちの劇団らせん劇場のことなど、半分くらいしか書けなかった。その2は出来るんだろうか。
それはさて置き、地域の演劇活動という切り口で、静岡県の70年弱を見てみる作業はとても面白い作業だった。県内の主要図書館に贈呈する予定だけど、欲しい方には50部ほどは予備があるので、事務局に問い合わせてほしい。A4版140ページ 送料込み 1200円。アトリエみるめの事務所でも売っている。じゃ。

静岡県演劇協会事務局 〒422--8043 静岡市駿河区中田本町46-2 堀池高彰 h-taka@po2.across.or.jp
  


Posted by みるめ下足番 at 16:26Comments(0)

2012年06月05日

当選

わしが、ピーに送った年賀状が当選したという。
三等、ふるさと小包。
おすそわけにあずかれるらしい。ちょっとうれしい。じゃ。
  


Posted by みるめ下足番 at 13:16Comments(0)おいしいこと

2012年06月03日

マリナート小ホール

昨日は来年演劇カタログを実施するマリナートに見学に行ったじゃ。きれいなホールじゃ。創作意欲をかきたてる要素にかけているホールじゃが、それはそれでいいのかもしれない。うつわじゃよ、と突き放した感じがつよい。みるめとはそこが違う。例えば、静岡芸術劇場なんぞは、「芸術」だぜというのがつおいから、一度、慶喜劇団がやったのをみたけど、そのチグハグ感が見ものだった。少なくとも、なんらかの「美」を伴わないとあの場にはからめない。今回のらせん劇場の舞台でいえば、大地の唄しか似合わない。笑いの似合わない、俗っぽさの似合わない劇場だ。だから、マリナートはアートがついているけれど、アートでも、なんでもできるよという懐の深い、逆に言えば個性のない劇場である。ちなみに、そこを観客以外の人として使おうとすると、サインがわかりづらい。安いのにね。設計者が、そういう使われかたは望んでいないのかもしれない、とふと思った。そういえば、グランシップも当初はサインがわかりづらいところだったなぁ。建築家とはいえ芸術家領域に足を踏み入れると、上から目線になるのかもしれない。●写真は市民文化会館にお務めの、時にはミュージシャンだったりもする竹田さんから提供されたものじゃ。出演、手持ちブタさん風の油山みけ、岡康史さん(午後自)、岡尾智津子さん(朗演エトピリカ)

  


Posted by みるめ下足番 at 10:41Comments(0)きれいなこと