2013年11月25日

8ヶ月ぶり

ブログは久しぶりなのじゃ。なので入り方を忘れてしまったのじゃ。前回は3月に書いておって、それから8ヶ月の間に2回も入院、一週間ちょっとで退院、ってのをやったのじゃ。最初入った時のリハビリの先生にばったりエレベータのところであって、ななんでですか?とびっくりされたのじゃ。その先生、苗字だけ聞くと怖そうだけど、ぜんぜん優しいかわいい女の先生で、うちの息子Bなんかのお嫁さんになってくんないかしら、と思う人だったのじゃ。しかし、最初入院した時の病気からはすっかり回復してて、報告とその時のお礼が言えてよかった。最初に入院した時の担当医が、三谷幸喜に似ているのだけど、こちらも顔を出してくださった。2回め入院の一週間に一回目の病気の半年後の定期健診でお目にかかったのだけど、ちょっと苦笑い君で明るかったので、こっちも大したことなさそうと思えて安心したものじゃった。とにかく今回の病気は食いたいものが食えんというのが一番つらかった。じゃ。  


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2012年05月28日

一日、2本に初挑戦

涙なしでは読めない今回の公演パンフより
「ごあいさつ
 ご来場ありがとうございます。
今回の公演が終わって10日ほどすると、静岡県演劇協会30年記念誌というのが出る。その中に、劇団らせん劇場のことをつらつら書いた。スタートが1975年である。37年も昔である。そこから始めて、思い出す限りの劇団員、トピックス的なことを書いていたら、寿町倉庫に移転する2001年までのことで紙数が尽きた。ありゃま、である。失われた11年になってしまった。しかし、寿町倉庫に移転してからの新入団員は、わずか一人なので、その名前は書いておいた。ので大凡、全部書いたはずだ、たぶん。
 それぞれの人にとって、いろんな思い出があるのだろう。この劇団らせん劇場という場で、出会った人、出会ったことで、幸か不幸かそののちの人生が決まった人もいる。現在のその人の、回り道だったり、近道だったり、いろいろだろう。言い出しっぺ法則で、なんやかや代表を続けてきた私にとっては、関わってくれた人それぞれの力が、振り返るととても有難く、貴重なものだったと感謝である。現在、私達がこうやって舞台を持てるのも、劇団の有形無形のさまざまな財産のおかげである。
 もちろん、今日のお客様のように、コーヒー一杯、おむすび一個より、はぜったい高い入場料を払って、観に来てくださるお客様のおかげはもちろんである。ずうっと見続けて下さっている方もいる。
 ただ、4分の3くらいのらせん劇場の歴史を書いてみると、やはり、やりたいという気持ちで参加してくれた人たちの気持ちがなければ、続いて来なかったのだなあと実感せざるを得ない。
 そして、現在、今回の舞台を共に作ったメンバー。これはなかなか、アホみたいにね得難いメンバーである。昨年秋、しばらく舞台を客席側か撮り殿続けていてくれたおしめり寛太が22年ぶりに、この春には八兵衛が16年ぶりに舞台復帰した。この二人の復帰は思っていた以上に大きかった。まだ見習い中だけど、好奇心旺盛な超お姉さまも、なんやかや心遣いしてくれる。人生のひだひだひだはすごい。 
 親の介護、多忙な仕事、豊かでない財布、そんなもろもろを抱えた劇団らせん劇場の、(ちょっと恐ろしくて数えてなかったが、この文章のために計算したら、劇団の総年齢は541歳。霧島聡がほぼ平均年齢なのだあ。てことは、それ以下が若手だ。そんなことはどうでもいい。)541歳劇団のパワーは、若くはないから物理的なものでなく、人生のひだひだがにじみ出る豊穣な力である。無駄な労力、頑張りはやらないのも得意になってきた。
 しかし、だけども、アルバイトタイムスさんのお世話を受けていた時代より、当然ながら、外部環境的には厳しくなっている。今回舞台が作れたのも、みるめという場があればこそである。厚かましいお願いではあるが、アトリエみるめの支援もお願いしたい。みるめの各種会員になる、以外にも、ここで行われる演劇、パントマイム、大道芸を見に来てくださることも支援である。好みがあるのでおしつけられないが、少なくとも、この一年、このみるめで行われた舞台の6割9分2厘はまあまあ面白ものだったのではないかと思う。のだ。これほどの場は、静岡には他にはない。と思う。もろもろ不完全、不十分なトコロがあって、広報が行き届いていないところがあるが、ホームページなんぞを見て情報を得ていただきたい。来て頂ければ、6割3分の人は、心の栄養になる。と思う。
 この次は秋の予定。もろもろな劇団の財産を活用して、70回記念にふさわしい舞台、ってなんだか考えてお届けします。ご期待ください。
都築はじめ」じゃ。
  


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2012年04月01日

まんま演技のまちがい

その人のまんま演技するというのに疑問を持たない人がいる。なんでそれじゃあいかんのかと問う人もいる。役柄と演者との関係に絞れば、演じる者と演じる役との間に差異がない脚本はないからじゃ。ということを、改めて説明してもたぶんわからないじゃろうけど。大昔、この役は自分じゃないから書き換えてくれと言ってきたヤツがいた。そのときはだったら自分で自分を脚本にしたのを書いたらと突っぱねたが、今思うと、そこいらを説明できなかった未熟を恥じる。ま、よほどのイケメンや美女やおかしな顔や巨体や、などであれば、見世物として、お客を呼ぶからよし、という判断もありうるが、よほどのイケメンや美女やおかしな顔や巨体であることはきわめてまれで、せいぜいがよほどの→すこし…かな、程度なので、まんまでとおると思っているのは「鏡」を持っていないということじゃ。そういうひとに限って、ジュリエット役なんでいうと仰々しく、OLというとまんま、という使い分けをしてしまったりする。差異を埋めて舞台に乗っけるところが、演者の想像力+創造力、クリエイティビディってことなのだけど、それをやんなくていいお芝居は敷居の低い芝居というものではなく、お芝居ですらない。ちなみに演劇を別の目的のために方法として使う場合は、別の次元だ。まずはイキイキやればよろしい。市民参加舞台は、そういうものだとワシは思ってる。演るがわの、自己実現に目的があるのだから、本来は入場料をいただくのはおかしい。自己実現している姿が見世物になると判断したら見物料を頂けばよろしい。そこいらがごっちゃになっているのはワシらの責任もあるのじゃが、いいことではない。  


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2012年03月16日

トイレの神様

つい先だって、チケットをいただいたので、トイレの神様に行ってきたじゃ。
ちゃうちゃう、色紙にあたりまえじゃんのことを書くおっさんじゃない。あれは便所の神様。
コンサートじゃ。
でもって、トイレの神様、は、トイレの神様、で、それ以上でも以下でもなく、やはりトイレの神様
はよいのであったのじゃ。
しかれんども、オープニングのBGMは、歌い手本人にはそぐわない感じで、始まってからの歌も、トイレの神様に2,30歩届かない感じで、コマーシャルに使われたという曲もぜんぜん印象に残ってない。
音楽のことはようわからんのじゃが、アコースティクといいつつ、当然PAで増幅してあるわけで、そのミクシングのバランスが変。ロックでばうばういう曲ではないので、キーボード、パーカッション、ヴォーカルが一対一的なので、歌詞が聞き取れない。
ましてや、おなじみムーピングライトを、不用意に、こんなこともできまっせいと、曲想とは無関係に動かす。歌詞と曲、歌手と歌、歌とパーカッション、なんだかばんらばら、だったのじゃよ。
あれではナマ観に来て、ファンが増えるより、ナマ観に来て、歌い手のファンになる人は、ものすごーくゼロに近いだろう。
トイレの神様で儲かったから、プロダクション的にはいーのかもしれないけど、
すべてが適当なのは、いかがなものか、(やった、つかってやった「いかがなものか」)
もちろんツアーだから、その肩書きのスタッフはいるはずだが、仕事してないのだから、私が歌手なら文句いう。トイレの神様はとてもいい、と思うけど、「もしも~、わたしがぁ~」みたいな末路をたどるのは見える。プロダクションとうまくいっていないのだろうか…

  


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2012年03月04日

なぞ

例えば、見た映画がひどくつまらなかったけど、帰りの食事がおいしく、お店のお姉さんもきれいで愛想が良かったということがあるかもしれない。そうなると、プラスマイナスゼロっていうことで、ま、一日としてオッケーとなったりする。食事とお姉さん次第ではプラスになることもある。けど、映画が面白ければ、よりオッケーな日になるわけじゃ。
映画でも、ひどくつまらない、と判定できればいいが、つまる、つまらん以前の、態をなしてない、というものの場合、つまらないとマイナス評価もつけられないのだけど、それはゼロではなく、膨大な無になってしまうのではないじゃろうか。そうなると映画後の食事とお姉さんのことだけが残る。
ただ態というのは、あるルールや基準というものさしではかってるわけで、作った者はそんなものさし以外の物をものさしを持っていたり、そんなものさしがあることさえしらないかもしれない。
もし知らないで、映画を作ったりしていたら、本人にとっても残酷な話だなぁと思う。じゃけんが、本人じゃないからわからん。う~む。


  


Posted by みるめ下足番 at 14:35Comments(0)がちなこと

2012年01月01日

いい年にしたいもんじゃ。




てことで、新年のお喜びをもうしあげます。じゃ。上はらせんの今年の年賀状じゃ。
 めでたさも 中ぐらいなり おらが春
 これがまあ ついのすみかか ゆきもなし
 はつはるや ゆめはかれのを かけめぐる
さあ、きょねんより、としのとるぶんがかんばりまひょう。 

あ、いかん。電話番号はなくなってたのじゃった。やばい。新年早々こうじゃもんじゃもんなあ。
自宅の年賀状は2011と書いちゃうし。未熟じゃ。  


Posted by みるめ下足番 at 17:21Comments(0)がちなこと

2011年12月02日

から回り

 演技者には力ってモノがあるのじゃが。でもって力ある演技者でも舞台によっては空回りして、ただの熱演になってしまうことがある。これも力のうちじゃが、要するに演技者に、インプット=受けることができないと、演技者同士のつながりが生まれず、空回りする。face06
何年か前、他の劇団のメンバーと話していて、受けることができる以前に共演者に受けようとする姿勢・態勢がないので、自分が受けちゃあ返しをしていて、疲れるという話になった。この場合も同じだ。つながりは生まれても、一方通行、片思いみたいなものじゃ。
 ただ、アウトプットする力がそれなりに強い人だと、テンポがあると場がそれなりに成り立ったように見える。そうすっとそれでいいと思ってしまう。
 悲惨なのは、演技者にアウトプットする力が乏しい場合。朱に交われば赤くなる、じゃない、悪貨は良貨を駆逐する、でもないな。乏しい力の演者に引きづられて舞台はどんどん奈落の底に沈んでいく。face10
舞台では相手が出してくるパスをきちっと受け止めて繋がること。相手にきちっとパスを出すこと。それがまず初めの一歩だと思うのだが、その一歩があまりにおざなりにされている、と思う下足番じゃった。

  


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2011年11月20日

静岡大学演劇部公演

ストーリーらしきものはない。と思う。face01
静大演劇部メンバーのひょっとしたらこれ面白そうというものを並べて全力でやってしまいましたって舞台。おいおい喉をつぶすぜというような発声で、でも全力全力って感じ満載で、1時間弱ぶっ通すこのすがすがしさ。真似ができない。若さ?うーむ、そうともいえる。face04
おそらくチケット代が何千円もする舞台では観たことがないが、静岡で観る舞台に結構あるのは登場人物を装ってみましたという舞台。結果登場人物にリアリティがないってなことになる。
セリフというのは、登場人物のあるシュチュエーションの中で発せられる言葉で、セリフだけ言ってれば存在できるというのは演じるサイドの希望でしかない。演者そのものの存在感か、脚本そのほかを材料にみっちり築き上げた役作りのけっかとしての存在感が、どちらかがないと、セリフと共に消えてしまう。消えてしまっているのに根居心地が悪くて小芝居してさらにみっともなくなってしまう、ってな舞台を結構見てきた、じゃ。

その点、演劇部の舞台は装ったり、小芝居がない。というより、登場人物はあるが、登場人物が担うべきドラマがない。これはすごい。face08何かが起こるのかと思うと次の場に移ってしまう。あれよあれよである。face08
この肩透かし感はすごい。わかりやすく言えば、警察を舞台に「部長、また寿町にちかんが!」「なにっ!」ってことで始まったと思ったら、次のお話に移ってしまうのである。結構決めゼリフはあるのである。しかし、それはそれで終わるのである。人間が椅子とかドアになるのである。しかし、それはそれでおわるのである。それだけなのである。不思議なのである。
そこにいるのは、「あー来年なったら就活始めなきゃなぁ」と多分思っているはたちそこそこの男子女子の群の「どーんとなったはなびだきれいだなぁ」と踊る大川興行みたいなものである。
それが、いまという時代に生きている静岡大学生のリアルな姿なんじゃなってことを感じるのじゃ。
この爽快感。
おそらく20年ほど前の演劇部、もとい演劇研究部の先輩たちにはこういう潔さはなかった。もっと装っていたし、もっとナルシスティックになっていた。ダメ出しようもあった。
しかし、今回の舞台は無理だ。何をどうしたかったということの見当すらが付かないのじゃ。脱帽じゃ、降参じゃ。「リア充」に続いて2連敗じゃ。
きっと法学の学生はいなかったに違いない。いたとしたら勉強していないのに違いない。なぜなら、何が「平等」クリスマスなのか、香りさえしなかったのじゃから。
わかるかなぁ、わかんねえだろうなぁ。
ちなみに、喉を痛めない発声だけはどこかで学んで欲しい。と下足番は幼稚園児を見つめる園長先生のな気分だったのじゃ。

  


Posted by みるめ下足番 at 17:02Comments(0)がちなこと

2011年10月30日

メンテナンス

きのうはみるめで演劇のワークショップ。
3年ぶりで松本永美子さんのワークショップ。
12名が参加してくれたじゃ。
受講経験者だけのワークだったので、アイスブレークも必要なく、みっちり7時間近く。
平台でも畳でもあるから、みるめは練習にもってこいじゃ。

しかし、みんな熱心じゃ。face01

下足番も参加。メンテナンスになった、かしらん。

新規の人のためのもまた開催したいと思うが、人が集まらず
採算が取れそうにないので、たぶん静岡ではやらない。

演劇に技術が必要と思っていない人が演劇をやっているのか、
技術を必要としていない「演劇」が演劇といわれているのか。などと考えるが、
いずれにしろ、演劇の力の足りなささを自覚していない舞台が蔓延している。
永美子さんもわしの師匠じゃが、
最初の師匠佐野聡氏も、必要なしと思わせなかった。
結局は舞台というものに対する覚悟が無いのだと思う。

ひどくてもできる。

観客に甘えた芝居が、そうじゃ、それじゃ、ここ静岡では蔓延している。
という状態では、演劇が盛んにならないのは目に見えている。

てことを自覚して芝居せにゃなぁ。
演劇は60からと永美子さんはいっとったが、
個人的には同感。さ、体力づくりを始めよう。
  


Posted by みるめ下足番 at 07:33Comments(0)がちなこと

2011年08月14日

本番

あー、本番は怖いのじゃ。
練習で失敗などしたことがないことをやってしまった。出番を忘れるってのではなく、出番ででたつもりがてでなかったいう…。こどもたちのきっかけのセリフだったから、かまないことをしてしまったじや。子どもがわすれたんじゃありませんよ。じじいがボケてたんですよ。

昔、星の王子様をやったとき、トイレに行ってて出番を忘れた大ばかものKきりやHべえというのがいたが、あのホールには魔物がいるのじゃ。くわばらくわばら。

さらに、本番になってテンションがあがったコドモタチがジイの被り物をぶっ飛ばしてしまった。元気があってよろしい!!。あご紐わつけとくべきだった。これも大人の油断。

まさんざんなこともあったが、怪我もなく、よかった。おわった。という久しぶりの出番ほうこくじゃった。
  


Posted by みるめ下足番 at 07:19Comments(0)がちなこと