2013年02月23日

演劇カタログ2013若い集団の舞台

 下足番は村の渡しの船頭さんよりももう年上になってしまった。じゃので、明日の本番に備えて、今日は若い連中の生き血を吸ってみようと、マリナートへ若い集団の舞台を観に行き、なんと4つも観てしまった。
前回カタログでも、静岡大学演劇部には刺激を受けた。まるで形になっていない、しかし、エネルギーが溢れかえっている、どこかの温泉のなんとか地獄みたいに地の底からわけのわからんものがリア充、リア充と湧き出している得体のしれない舞台だったが、それはそれでなかなか楽しいものであった。
で、それからしばらく経った静大演劇部はいかがなものか、と観たのだったのじゃ。
 静岡大学演劇部(昔は静岡大学演劇研究会といった)の舞台、もちろんすべてを見てはいない、時折だけど、観た中で超スーパー最高の舞台であった。
 原作のトリツカレオトコは幸か不幸か読んだことがない。しかし、すんなりその話が伝わってきた。原作のここがミソが、下足番にも伝わってきたのじゃ。分かった、理解できたではない、伝わってきたのである。
 まずはこの脚本を書いた大畑法子はエライ。原作もここまでスッキリしているのかわからないが、余分もなく、本筋からはみ出さず、脚本に、それも筋を追ってみましたというレベルではなく、演劇脚本としてまとめあげた腕前は、なかなかなものだ。見習いたい。爪の垢をいただきたい。
 二番目は演出も、やるべきことをしっかりやり、視覚的に舞台として美しいシーンも作り、とてもバランスがよかった。この客観性=やってることを冷静に見つめる目もすごい。
 そして、最後に何よりもその演出からはみ出ることなく演じた俳優たちとスタッフたち。そのアンサンブルの良さは拍手もんである。劇団という集団による創作ができていた。連携がとれていたというのかなぁ、うーん。あの年代のワシを思い出すと、恥ずかしい限りじゃ。ノリだけじゃったもんなぁ…。
 他の若い集団の舞台も、それぞれやりたいことをやりきっているという感じを得たのだけれど、静大演劇部はよかった。
 舞台がイタリアらしく、冒頭、朗々と歌ったりするのだが、それとアイスホッケーのシーンが、立派に下手くそだったので、ある意味、二十歳前後の集団としてバランスがとれていたのだけど、でなかったら、ショックで、明日の舞台どころではなかった。 
 今回のメンバーの中から、明日の日本の演劇を創る人材が出てくることを期待する、演劇部の前身の演劇研究会に2ヶ月もいられなかった下足番であったじゃった。いい舞台をありがとう。
  


Posted by みるめ下足番 at 22:52Comments(0)うれしいこと

2012年01月20日

サンキューさん、大道芸WC。

 サンキュー手塚さんの室内芸を観る。手塚さんはマイムと音楽を使って笑ステージを作り出す人だけど、室内での今日の舞台は、大道では気付きにくい手塚さんのナイーブさみたいなものが見える90分のたっぷりサンキュー舞台じゃった。昨年大道芸WCは20年目だった。手塚さんは17年参加していると言っていた。
 この20年のスタート時から支えてきた人が、昨春、1人亡くなり、つい昨日は初期この大会が軌道に乗るまでを大きく支えてくれた人が亡くなったとの報せを受けた。サンキューさんの「誕生」という出し物を見ながら、あの人たちがいなければみるめに集まった100人近いお客さんや、もちろんサンキューさんや、しまる会もなかった、つまり今日のこの場はなかったんだろうなぁと思った。笑うだけでなく、そういう想いも誘発した手塚さんの舞台じゃった。
 来月19日は、三雲いおりさんとふくろこうじさんプラスふるえんぷてぃぷちっのステージ。昨年もジャパンカップの舞台で三雲さんもふくろさん(?)も拝見したが、プラスだめじゃん小出さんの3人を見て、三者三様、日本のクラウン芸ってものがしっかりとできてきているのだなぁと、とても納得したとてもいい舞台だった。西洋直輸入的なクラウンではなくって、日本に根を張ったというか住み着いたというか、そんなクラウン芸だったのじゃ。三雲さんも小出さんもともに十何年参加組じゃから、その間の今振り返れば試行錯誤を観てきただけに、感無量じゃったのじゃが、それもジーンと来る感無量ではなく、よかったなあと喜びが静かにふくらむ感無量じゃったのじゃが、それも20年続かなければ味わえないものじゃったろう。
 てことで来月もみなきゃソンですぞ。
  


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2011年10月08日

看板くん

こないだ紹介したみるめの看板の夜の顔じゃ。
これでぐんと見つけやすくなったはず。
夜公演のときはこれを目印に来てね、なのじゃ。
ついでに全体の夜景も。
こないだの台風ではがれた箇所が増えた。お金が欲しい…
  


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2011年10月06日

劇団静火

あす。あさってと県民劇団『静火』の舞台がお山である。
小屋主も管理人もそちらが忙しいので昼間みるめは休業である。みるめに遊びに来たいという人にはごめんなさいである。
下足番の方も佳境に入ってきた。昨日はじじい1の段取りの整理を中心に詰めた。
道具の件や作業の件やパンフレットの件も詰めた、はず。
3連休もあるが、全体ではちょっと集まれそうにない。それぞれ、責任の仕事をつめてもらうしかない。
静火の舞台も4人しか観にいけない。すまない。ワシは土曜日に行くじゃ。
二日目の方が、やりたいことが観えると思うからもある。

さて、演目のモリエールの人間嫌いだが、前知識はない。ただ、翻訳は内藤 濯さんだ。
星の王子様を訳した人だ。
二十年ほど前、故塩坂素子さんプロデュースの舞台で星の王子様を演出したとき、
内藤訳本、といってもそれしかなかったのだが、格闘した思い出がある。じゃ。
舞台が終わった後、知り合いの大学の先生がお詳しいと知って、いろいろ聞けばよかったと悔しかった。その先生も、いまや召された。
ちなみに、第2外国語はフランス語だったが、辞書を開くほどの力しかない。
学生時代フランスの戯曲を研究していた芝居仲間も、卒業後間もなく若くして亡くなった。

あー、先立った人たちの話ばかりになった。でも20年とはそういう月日じゃ。

てことで、久しぶりに内藤さんの言葉と出会う喜びにちょいわくわくな、下足番じゃった。face01










  


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2011年05月07日

浜岡

中部電力がきめれば、停められるお膳立てが整った。

御前崎の亀も、よろこんでいつもより余計に卵を産むじゃろうて。
ご親戚が住んでる油山もちょっと安心じゃろうて。

福島のことで静岡にはこれないと断った外国の劇団が出ているじゃ。
秋の大道芸だって、予想される事態じゃ。

これで、少なくとももう一度は説得できる材料ができた。  


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2011年04月29日

大道芸ワールドカップ

昨夜は大道芸ワールドカップ実行委員会関係の飲み会だったのじゃ。
今年で20回なのじゃ。飲み会でなく大会がじゃ。

ワシは相談役ということなのじゃが、当日審査に加わるくらいで、この8年は汗水たらしていないのじゃ。でも実行委員ではあるのじゃ。そこら辺よくわからないのじゃが、行ったのじゃ。
長い話になるのじゃが、現委員長は小中高とずっと後輩で、中学のときは、うちの学年で珍しく2人も生徒会長が立候補して学年分裂選挙、2年生で立候補した彼が会長に当選したのじゃ。そのときの生徒会執行部の事務局員をやった。

ワシらの中学校は当時田んぼの真ん中で、昨日も話が出たが引き込み線の線路が正門の前を横切り、たまにタンクカーを引いた気動車が、たしかディーゼルだと思うが、通っていた。

体育館兼講堂は3年になってやっとできたし、プールは積み立て金だけ払って卒業までできなかった。入学式は玉砂利の敷かれた中庭で行われ、どういうわけか四月なのに夏の日差しの日で、炎天下あまりの暑さに、制服になれない一年生が何人も倒れた。田舎の学校だった。もっとも隣の学校の20歳も若い出身者は山のすそにあるので。うちの学校は都会に近いとコンプレックスを持っていたというが、とにかく、南側には海岸の松林までずっと田んぼがひろがっていた。

校舎は一二年生は木造。それも昔はどこかの工場の工員の宿舎だったとかで古く、ところどころ2階の床の羽目板には隙間があり、掃除のときバケツを二階でひっくり返すともれるというより、一階に滴り落ちる。何かの拍子で床をぶちぬくこともあり、そうすると技術担当の望月三良先生が工具箱と木切れを抱えては現れ、大きく高い通る声で笑いながらわめいて直してさるのだった。三良先生はシベリア帰りで、冬、トイレが凍る厳しさを話してくれた。

大は富士山のように凍りながら積もる。毎日そのウンチ富士山の頂上が床面よりたかくなる。シャガミ式だから、床より高くなるとしっかりしゃがめない。そこで毎朝当番が、ツルハシで、頂上付近を削り、無事富士山の元が落下できる環境をつくるのだそうだ。寒い中、かちかちとなったウンチくんを突き崩すのは大変だったそうだが、それはまだいい。凍っているからにおいはしないのだが、飛び散った氷ウンチくんが、服につき、作業を終えて部屋に戻ると溶け出し、そのくさいこと、くさいことというオチだった。

実習室でなく教室で聞いた記憶があるから、あれは技術の何の話のときだったのだろう。
ちなみに、当時の技術家庭課は、男女別で、男子には調理はなく、裁縫もなく、木工、金工、自転車やエンジンの分解、見たいなことをやっていた。花壇の作り方みたいのもならったぞ。て思い出すと、エンジンのピストンの説明とかの時だったろうか。

ま、軍隊経験のある先生が少なくない時代で、教頭は、台湾で捕虜の首を切って処刑した経験の持ち主で剣道部顧問。職員室の前に、剣道をやると頭がよくなるという新聞記事の切抜きが張り出されていたものじゃった。

そうそう先生たちは順番で宿直をやっていて、体育祭の準備で遅くなったとき、宿直室で先生にラーメンをおごってもらったことがある。美術の窪田寿太郎先生で、先生にはお子さんがいらっしゃらなかったので、正月自宅に招かれ、何人かでおしかけ、シャイだけどお調子もののイシガキは、ウスターソースに寿司をつけて食って笑われた。

ま、とにかくそういう時代からの現委員長との付き合いであるじゃ。


  


Posted by みるめ下足番 at 09:21Comments(0)うれしいこと

2011年04月29日

大道芸ワールドカップ

昨夜は大道芸ワールドカップ実行委員会関係の飲み会だったのじゃ。
今年で20回なのじゃ。飲み会でなく大会がじゃ。

ワシは相談役ということなのじゃが、当日審査に加わるくらいで、この8年は汗水たらしていないのじゃ。でも実行委員ではあるのじゃ。そこら辺よくわからないのじゃが、行ったのじゃ。
長い話になるのじゃが、現委員長は小中高とずっと後輩で、中学のときは、うちの学年で珍しく2人も生徒会長が立候補して学年分裂選挙、2年生で立候補した彼が会長に当選したのじゃ。そのときの生徒会執行部の事務局員をやった。

ワシらの中学校は当時田んぼの真ん中で、昨日も話が出たが引き込み線の線路が正門の前を横切り、たまにタンクカーを引いた気動車が、たしかディーゼルだと思うが、通っていた。

体育館兼講堂は3年になってやっとできたし、プールは積み立て金だけ払って卒業までできなかった。入学式は玉砂利の敷かれた中庭で行われ、どういうわけか四月なのに夏の日差しの日で、炎天下あまりの暑さに、制服になれない一年生が何人も倒れた。田舎の学校だった。もっとも隣の学校の20歳も若い出身者は山のすそにあるので。うちの学校は都会に近いとコンプレックスを持っていたというが、とにかく、南側には海岸の松林までずっと田んぼがひろがっていた。

校舎は一二年生は木造。それも昔はどこかの工場の工員の宿舎だったとかで古く、ところどころ2階の床の羽目板には隙間があり、掃除のときバケツを二階でひっくり返すともれるというより、一階に滴り落ちる。何かの拍子で床をぶちぬくこともあり、そうすると技術担当の望月三良先生が工具箱と木切れを抱えては現れ、大きく高い通る声で笑いながらわめいて直してさるのだった。三良先生はシベリア帰りで、冬、トイレが凍る厳しさを話してくれた。

大は富士山のように凍りながら積もる。毎日そのウンチ富士山の頂上が床面よりたかくなる。シャガミ式だから、床より高くなるとしっかりしゃがめない。そこで毎朝当番が、ツルハシで、頂上付近を削り、無事富士山の元が落下できる環境をつくるのだそうだ。寒い中、かちかちとなったウンチくんを突き崩すのは大変だったそうだが、それはまだいい。凍っているからにおいはしないのだが、飛び散った氷ウンチくんが、服につき、作業を終えて部屋に戻ると溶け出し、そのくさいこと、くさいことというオチだった。

実習室でなく教室で聞いた記憶があるから、あれは技術の何の話のときだったのだろう。
ちなみに、当時の技術家庭課は、男女別で、男子には調理はなく、裁縫もなく、木工、金工、自転車やエンジンの分解、見たいなことをやっていた。花壇の作り方みたいのもならったぞ。て思い出すと、エンジンのピストンの説明とかの時だったろうか。

ま、軍隊経験のある先生が少なくない時代で、教頭は、台湾で捕虜の首を切って処刑した経験の持ち主で剣道部顧問。職員室の前に、剣道をやると頭がよくなるという新聞記事の切抜きが張り出されていたものじゃった。

そうそう先生たちは順番で宿直をやっていて、体育祭の準備で遅くなったとき、宿直室で先生にラーメンをおごってもらったことがある。美術の窪田寿太郎先生で、先生にはお子さんがいらっしゃらなかったので、正月自宅に招かれ、何人かでおしかけ、シャイだけどお調子もののイシガキは、ウスターソースに寿司をつけて食って笑われた。

ま、とにかくそういう時代からの現委員長との付き合いであるじゃ。

  


Posted by みるめ下足番 at 09:20Comments(0)うれしいこと

2011年04月26日

すっぽんぽん

元劇団員からご懐妊のおしらせ。現役時代、おなじくアフリカ系女優コンビのかたわれが、昨年3人目をご出産して、夫婦と上のふたりも一字名なので、基と名付けた。名は態を現さないということハタチすぎてんだからわかればいいのに、基なんて。face07

それを知ったのは年賀状でであったが、恐ろしいことに、こちらの年賀状(当然、その年賀状を受け取る前に発送していた)に、あ、ここんち4人とも一字名じゃんと気づき、今度生まれたら基と名付けたらと冗談で書いたのだ。そしたらそれよりも早く、まじめに基とつけていたのだったのじゃ。face08

なにはともあれ、ベビ誕はめでたいことじゃ。face02

アフリカ系だけあって、基の母親は多産なのだ。懐妊のお知らせをくれたのもアフリカ系だからして、結婚後しばらく子どもに恵まれなかったから、これからは堰を切ったように多産の道を歩むかもしれない。
ぽぽんぽぽんぽんすっぽんぽん。安産祈願!!icon01

基の母親アフリカ系は、本番と本番の合間に、ぽかーんと口をあけて夕陽を見ていたし、画鋲の箱がいくつあるか数えといてと頼んだら画鋲を数えたという逸話の持ち主だし、懐妊アフリカ系は、本番時、地上6メートルのイントレの上で漠睡した武勇伝の持ち主だ。そのイントレの上で跳ねるので高所恐怖症の相手役は心臓が止まりかけていた。(わしのことじゃ)face10

ま、どちらも人並みははずれている。face03

望んでいても、なかなか子どもを恵まれないご夫婦も多い。幸せなことじゃ。

子どもたちが元気に生きられるように、少しでも暮らしやすい社会になるように、ジジイどもはがんばるときにはがんばらねばじゃ。


  


Posted by みるめ下足番 at 23:17Comments(0)うれしいこと