2012年05月28日

一日、2本に初挑戦

涙なしでは読めない今回の公演パンフより
「ごあいさつ
 ご来場ありがとうございます。
今回の公演が終わって10日ほどすると、静岡県演劇協会30年記念誌というのが出る。その中に、劇団らせん劇場のことをつらつら書いた。スタートが1975年である。37年も昔である。そこから始めて、思い出す限りの劇団員、トピックス的なことを書いていたら、寿町倉庫に移転する2001年までのことで紙数が尽きた。ありゃま、である。失われた11年になってしまった。しかし、寿町倉庫に移転してからの新入団員は、わずか一人なので、その名前は書いておいた。ので大凡、全部書いたはずだ、たぶん。
 それぞれの人にとって、いろんな思い出があるのだろう。この劇団らせん劇場という場で、出会った人、出会ったことで、幸か不幸かそののちの人生が決まった人もいる。現在のその人の、回り道だったり、近道だったり、いろいろだろう。言い出しっぺ法則で、なんやかや代表を続けてきた私にとっては、関わってくれた人それぞれの力が、振り返るととても有難く、貴重なものだったと感謝である。現在、私達がこうやって舞台を持てるのも、劇団の有形無形のさまざまな財産のおかげである。
 もちろん、今日のお客様のように、コーヒー一杯、おむすび一個より、はぜったい高い入場料を払って、観に来てくださるお客様のおかげはもちろんである。ずうっと見続けて下さっている方もいる。
 ただ、4分の3くらいのらせん劇場の歴史を書いてみると、やはり、やりたいという気持ちで参加してくれた人たちの気持ちがなければ、続いて来なかったのだなあと実感せざるを得ない。
 そして、現在、今回の舞台を共に作ったメンバー。これはなかなか、アホみたいにね得難いメンバーである。昨年秋、しばらく舞台を客席側か撮り殿続けていてくれたおしめり寛太が22年ぶりに、この春には八兵衛が16年ぶりに舞台復帰した。この二人の復帰は思っていた以上に大きかった。まだ見習い中だけど、好奇心旺盛な超お姉さまも、なんやかや心遣いしてくれる。人生のひだひだひだはすごい。 
 親の介護、多忙な仕事、豊かでない財布、そんなもろもろを抱えた劇団らせん劇場の、(ちょっと恐ろしくて数えてなかったが、この文章のために計算したら、劇団の総年齢は541歳。霧島聡がほぼ平均年齢なのだあ。てことは、それ以下が若手だ。そんなことはどうでもいい。)541歳劇団のパワーは、若くはないから物理的なものでなく、人生のひだひだがにじみ出る豊穣な力である。無駄な労力、頑張りはやらないのも得意になってきた。
 しかし、だけども、アルバイトタイムスさんのお世話を受けていた時代より、当然ながら、外部環境的には厳しくなっている。今回舞台が作れたのも、みるめという場があればこそである。厚かましいお願いではあるが、アトリエみるめの支援もお願いしたい。みるめの各種会員になる、以外にも、ここで行われる演劇、パントマイム、大道芸を見に来てくださることも支援である。好みがあるのでおしつけられないが、少なくとも、この一年、このみるめで行われた舞台の6割9分2厘はまあまあ面白ものだったのではないかと思う。のだ。これほどの場は、静岡には他にはない。と思う。もろもろ不完全、不十分なトコロがあって、広報が行き届いていないところがあるが、ホームページなんぞを見て情報を得ていただきたい。来て頂ければ、6割3分の人は、心の栄養になる。と思う。
 この次は秋の予定。もろもろな劇団の財産を活用して、70回記念にふさわしい舞台、ってなんだか考えてお届けします。ご期待ください。
都築はじめ」じゃ。
  


Posted by みるめ下足番 at 11:33Comments(0)がちなこと

2012年05月28日

公演終わりましたじゃ

ご来場いただきましたお客様の皆様方、ありがとうございましたじゃ。
 下足番になって2度目の舞台、パンフレットにも書いたのじゃが、出戻った二人の味で、舞台の印象が随分と膨らんだのは有りがたかった。それは確かだか、一つ忘れていたのが、二人のうち一人は、すごいおしゃべりだったということ。復帰当初からかなりの間は、しおらくしていたが、初日が終わった途端、ほっとしたせいか、ほえるほえる。またその内容も、彼独特の価値観、たとえ某有名人の「浮気は日本の文化的」な価値基準に基づく第三者には笑える話で、楽しいのだけど、そのうち聞く方は疲れてくる。いつもほどは、ハードでない舞台なのに、ハードな舞台をやったかのように、マチネ後に、客席で昼寝が続出。その姿を見たときは原因がわからなかったが、後でそのおしゃべりにワシも付き合うハメになり、途中から、自然に横になって「はいはい、それで」的対応になって気づいた。このホームページのメンバー紹介で、四季と双璧をなした、と書いているが、休眠中に、はるかに四季を凌駕してしまっていた。いっておくが、話はつまらないわけではない。その証拠に、Y 津市K川にある、Tというスーパーの近くに行くことがあったら、目のきらきらした店員さんを見に行こうと思ってしまっている。舞台での演技より会話に説得力があるのである。しかし、だが、疲れるのじゃ。迷惑な面白さ、とでもいおうか。疲れるリスクを背負っても聞いて笑いたいか、これからはよく考えて聞くことにしよう。
 出戻り2の話に刺激された見習いの直撃下ネタにも言葉を失った。酔いの回った老い先短い存在は恐ろしい。劇団らせん劇場はシモネタにも品位を重んじる伝統があるからである。
 そういえば長子を連れてきた元劇団員はシモネタ、特にダート系が大好きであったが、それも品位ある下ネタである。発見、そうか、らせんは品位を重んじる劇団であったのである。
  


Posted by みるめ下足番 at 11:24Comments(0)

2012年05月24日

本番まで間がない。じゃ。

技術的なこともあるので、まだ決めかねていることがある。じゃ。今日はそのことを確認せねばじゃ。物理的にみるめの舞台型が決まっているわけではないので、毎回、劇場そのものをどう作るかが変化する。そのことが大きな特色であり、魅力なのだけれど、確かめてみんと、わからんことがある。おもしろいけど、めんどくさい。考えてみると、おもしろいけど面倒臭いを続けている何十年であったことよ。
しかし今回は照明オペが簡略化されたそうだ。楽になったらめんどくさいことをまたやってみようと思う。考えてみたら、これも続けている何十年であったことよ。なんでだろうねえ。おもしろいことだからじゃ。
face06
  


Posted by みるめ下足番 at 17:37Comments(0)

2012年04月19日

通し稽古第一弾

てなことで昨日は通し稽古をしたのじゃ。セリフ忘れでもたもたしたところもあったのじゃが、絶対止めない方針の通し稽古であったので続けてあちこち転びながらも最後まで行きつけた。一部だが音も入れたので、出来上がりがだいぶ見えてきた。演出によっては最終的な舞台のイメージで、本読みの段階から、テンポが大切とテンポを追う人や、迫力が大事と求めることもあるようじゃが、演じる人の腑に落ちてないとすかすかになる。テンポや迫力というのはブラッシュアップの段階で調整していけばいいので、問題はその段階までに早く行き着けるかなのじゃ、とワシは鷲ではないが思うのじゃ。
 今回、見習いさんがいることで、改めて思うが、みんな長くやっているだけあって、スイッチがオンになると次元が上の段階の舞台を見ることができる。 これは演出としてはありがたいことだし、うれしいことじゃ。課題はまだまだ山積みだが、冒頭シーンが最も体力を消費しそうなので、中高年の多い劇団代表としては、栄養ドリンクの差し入れを望むしだいであるじゃ。emoji32
<大
>ちょっと字をおおきくしすぎたわい。
  


Posted by みるめ下足番 at 11:54Comments(0)

2012年04月16日

きれいなことはとりあえずすばらしいのじゃが

綺麗な舞台、見た目にとても美しい舞台というのを見たことがある。見た目にとても面白い舞台というのもある。どちらも写真で見れば、きれい、とか面白いはわかる。でも見た目でってのが曲者で、芝居自体の面白さ、力とかいったものは別物なので、綺麗だったり、面白かったりするというのは、舞台を構成する一要素でしかない。照明とか、舞台美術とか、衣装とか、出演者の配置とか、ポーズとか、なのじゃが、舞台装置家さんは料理のお皿を作る人みたいなもので、見た目は料理の彩りみたいなもので、うまい料理かどうかはまた別である。てことを考えると、なかなかおいしい料理、なかなかおいしい舞台とはないもので、それだから作りたいなと思いつつも同時に、食べてみたいなと思うものである。本当においしい料理を芸術的と呼ぶのはわかるが、美しいだけで芸術的だと思っている人は演劇を馬鹿にしているのではないじゃろか。アート=美術的芸術みたいなところから使われ始めた言葉ではないかと思うが、視覚だけじゃないんだけどなとおもってしまう下足番であった。汚くてもおいしい芝居はかつてあった。演劇をアートって言葉で捉えようとするのが間違いかもね。まして最近は美術や音楽系のパフォーマーたちを見てるとすぐにアーチストだからね。  


Posted by みるめ下足番 at 13:07Comments(0)

2012年04月01日

まんま演技のまちがい

その人のまんま演技するというのに疑問を持たない人がいる。なんでそれじゃあいかんのかと問う人もいる。役柄と演者との関係に絞れば、演じる者と演じる役との間に差異がない脚本はないからじゃ。ということを、改めて説明してもたぶんわからないじゃろうけど。大昔、この役は自分じゃないから書き換えてくれと言ってきたヤツがいた。そのときはだったら自分で自分を脚本にしたのを書いたらと突っぱねたが、今思うと、そこいらを説明できなかった未熟を恥じる。ま、よほどのイケメンや美女やおかしな顔や巨体や、などであれば、見世物として、お客を呼ぶからよし、という判断もありうるが、よほどのイケメンや美女やおかしな顔や巨体であることはきわめてまれで、せいぜいがよほどの→すこし…かな、程度なので、まんまでとおると思っているのは「鏡」を持っていないということじゃ。そういうひとに限って、ジュリエット役なんでいうと仰々しく、OLというとまんま、という使い分けをしてしまったりする。差異を埋めて舞台に乗っけるところが、演者の想像力+創造力、クリエイティビディってことなのだけど、それをやんなくていいお芝居は敷居の低い芝居というものではなく、お芝居ですらない。ちなみに演劇を別の目的のために方法として使う場合は、別の次元だ。まずはイキイキやればよろしい。市民参加舞台は、そういうものだとワシは思ってる。演るがわの、自己実現に目的があるのだから、本来は入場料をいただくのはおかしい。自己実現している姿が見世物になると判断したら見物料を頂けばよろしい。そこいらがごっちゃになっているのはワシらの責任もあるのじゃが、いいことではない。  


Posted by みるめ下足番 at 12:46Comments(0)がちなこと

2012年03月29日

座右の銘

座右の銘、てのは特にないのじゃ。私の前に道はない。私の後に道はでける。という高村光太郎の詩はそれにやや近いかもしれんのう。というわけでFBに古代ギリシアの哲人(28号ではないほう)が座右の銘をご託宣くださるというソフトがあったのでやってみた。プラトンさんにやってもらった。のじゃが、その結果、じゃーん、
あなたの座右の銘は、
「恋するものの狂乱は、javascript:void(0)あらゆる狂乱の中で最も幸いなるものなり。」
となったのであったのじゃった。いけいけじゃface02
しかし、よいのじゃろうか、これが座右の銘で…face07
  


Posted by みるめ下足番 at 11:18Comments(0)どーでもいいこと

2012年03月16日

トイレの神様

つい先だって、チケットをいただいたので、トイレの神様に行ってきたじゃ。
ちゃうちゃう、色紙にあたりまえじゃんのことを書くおっさんじゃない。あれは便所の神様。
コンサートじゃ。
でもって、トイレの神様、は、トイレの神様、で、それ以上でも以下でもなく、やはりトイレの神様
はよいのであったのじゃ。
しかれんども、オープニングのBGMは、歌い手本人にはそぐわない感じで、始まってからの歌も、トイレの神様に2,30歩届かない感じで、コマーシャルに使われたという曲もぜんぜん印象に残ってない。
音楽のことはようわからんのじゃが、アコースティクといいつつ、当然PAで増幅してあるわけで、そのミクシングのバランスが変。ロックでばうばういう曲ではないので、キーボード、パーカッション、ヴォーカルが一対一的なので、歌詞が聞き取れない。
ましてや、おなじみムーピングライトを、不用意に、こんなこともできまっせいと、曲想とは無関係に動かす。歌詞と曲、歌手と歌、歌とパーカッション、なんだかばんらばら、だったのじゃよ。
あれではナマ観に来て、ファンが増えるより、ナマ観に来て、歌い手のファンになる人は、ものすごーくゼロに近いだろう。
トイレの神様で儲かったから、プロダクション的にはいーのかもしれないけど、
すべてが適当なのは、いかがなものか、(やった、つかってやった「いかがなものか」)
もちろんツアーだから、その肩書きのスタッフはいるはずだが、仕事してないのだから、私が歌手なら文句いう。トイレの神様はとてもいい、と思うけど、「もしも~、わたしがぁ~」みたいな末路をたどるのは見える。プロダクションとうまくいっていないのだろうか…

  


Posted by みるめ下足番 at 16:56Comments(0)がちなこと

2012年03月04日

なぞ

例えば、見た映画がひどくつまらなかったけど、帰りの食事がおいしく、お店のお姉さんもきれいで愛想が良かったということがあるかもしれない。そうなると、プラスマイナスゼロっていうことで、ま、一日としてオッケーとなったりする。食事とお姉さん次第ではプラスになることもある。けど、映画が面白ければ、よりオッケーな日になるわけじゃ。
映画でも、ひどくつまらない、と判定できればいいが、つまる、つまらん以前の、態をなしてない、というものの場合、つまらないとマイナス評価もつけられないのだけど、それはゼロではなく、膨大な無になってしまうのではないじゃろうか。そうなると映画後の食事とお姉さんのことだけが残る。
ただ態というのは、あるルールや基準というものさしではかってるわけで、作った者はそんなものさし以外の物をものさしを持っていたり、そんなものさしがあることさえしらないかもしれない。
もし知らないで、映画を作ったりしていたら、本人にとっても残酷な話だなぁと思う。じゃけんが、本人じゃないからわからん。う~む。


  


Posted by みるめ下足番 at 14:35Comments(0)がちなこと

2012年02月12日

初めての弘前2

でもって、高校の前を通りかかったら、校門はこうだった。ポストの上に何かを乗せるのはこういうところに原点があるらしい






校庭では10メートルほどの高さのスロープを使ってスキーの授業をしていた。
 道端のバス停なんぞこんなありさまの中、どうやって通ってるのだろう。スキー?かなあ。聞いた話では冬でも自転車といっていたが、町で自転車の人はひとりもみかけんかった。お城の後では雪祭りをやっていて、弘前ねぷた(ねぶたではない)の絵師の絵が掲げられてい夜は行灯になるようだけど、なかなかセクシーな絵であることじゃったよ。家政婦のように覗く子どもの姿に、ワシと両Mと両Kが重なって見えた。Nにはきっとこんなことをしていると叱られるじゃろう。   


Posted by みるめ下足番 at 18:17Comments(0)おいしいこと